直江光洋さんが、週間朝日の篠沢さんの記事を送ってくれた。
まさに波乱万丈の人生だ。それに比し、ぼくはこれまで事故も病気も経験がない。
10年前、脳梗塞で入院し、初めて、血圧とか血糖値とかいいものに関心を持った。
それからは、10年間同じ医者に罹り、血圧・心臓・血糖などしっかり管理していた。
桜新町リハビリセンターの長谷川先生がいうように、ほんとに結構まじめに管理していた。
検査をすると
「胃は大丈夫です。心臓もしっかりしています。肺もきれいです・・・」
とすべて、太鼓判を押されていた。
しかし、考えてみると、やっぱりおかしなこともあった。
あまり、わたしが何処も悪くないのに落ち込むので、多くの専門家がウツではないか、と疑った。
自由が丘の精神科の先生は,「ウツではない。パーキンソン関係か?と神経内科を疑った」
しかし、結果として、東京医療センターの精神科に入院した。体重が減り続けてもいたから、
糖尿の悪化と思い、医療センターの総合内科に入院しようと思ったが、何処も悪くない、といわれてしまった
精神科で、今流行の薬をひとつづつ増やしているとき、ある晩に、抗ウツ剤をのみ、急に悪化した。
①その抗ウツ剤は呼吸器を直撃したらしい
②その晩か、翌日か、酸素吸入を受けたが、これは夜中、拷問のような印象が残った。精神科に、呼吸器の専門家
はいない。
③耳に残るのは、看護師さんか医師か「呼吸器科の対応がよくない、今交渉中だと・・・」
④呼吸器科に転科すると、空いている部屋がないと、一番高い個室に入り、そこで、いきなり手術の話になった
⑤気管切開だ。そうしないと、助からないと家族も説得された。
⑥気管切開は簡単だ、という解説にもかかわらず、時間がかかり、ここでも窮地にたった。かろうじて、生き残り
⑦その上で、神経内科の診察を受け、ALSと診断された。
⑧しかし、ベットは1ヶ月以上呼吸器科にいたが、呼吸器の先生は来ることがなく、神経内科の先生が朝晩訪れる
だけになった。肺活量の検査もなく、カニュウレーも同じものを入れたままであった
⑨神経内科に一ヵ月後に移ると、今度は、脳梗塞などの患者さんと一緒で、ますます呼吸器の専門から離れた。
⑩その病棟はとにかく忙しい。呼吸器の点検は4時間ごとに行うが、患者の点検は・・・
⑪実際、患者の残存能力を測る余裕もないようだった。
○すべては退院準備に当てられているように思えた。
ひがみかも知れない。事実と違うかもしれない。ただ、ぼくの脳裏には強く焼きついていることを、素直し書いて
いるとこうなる。
最近、新聞でも医療ミスがさまざま取り上げられる。
過去が戻るわけではないから・・・とおもいつつ、ついついこだわってしまう。
それで病気がよくなるわけではないのに。
○自分の人生を振り返る前に、どうしても愚痴が出る。