ALSに罹患しなかったころのわたしを知っている人は、
おそらく想像できないだろう。わたし自身がまだわからないのだから・・・
おそらく、家族以外で市民運動センターに出入りしていたひとでその「格闘」を
身近で見てしっているのは、多比良さんぐらいだろう。かれは、ベットの隣で、
数時間もパソコンにかかわってくれたから。
ベットで横になってしまうと、そのままが楽になり、離れる気力が失われがちになる。
○でも3度の食事は、ベットであるが、そこで胡坐をかき食べる。その飲み込みがシンドク
なり、時間が1時間もかかる。
○終わると、歯磨きだがこれも大事業だ。そこらじゅうを汚す。
○トイレは,大便が出るときはわかるので、必死の思いで動く
その間も、家族は、それ吸引だ呼吸器の接続だ、と忙しい。
家族が休まるときは、ぼくがベットでじっとしているときだが、その時間帯が増えれば、
まさに寝たきり、本も読めない。
「要介助者」として、自立して生きるとは、至難のことだ。
何かをするのではなく、生きていること自体が、自分との格闘である、としみじみ思う。