8月4日(木)
ブログの最初にも書いたが
都政調査会をつくったのは小森武さんで
彼は、戦前、全教レポで追放され、上海で
大陸新報の記者をして人間関係を広げ
戦後
黄土社(第2の岩波といわれ、労農派が中心)
を作ったが出版倒産
●なかなかの人物だが人間の全体像が見えて
なかった。
対話・参加・シビルミニマムだけでなく、実質的には
美濃部都政の中心であった。
晩年、日比野登さんと石川都夫さんと聞き書きをしたが
それでも、プライベイと等分からないことが多かった。
石川さんは小森武論を書く第一人者だが、それでも
分からないと遠慮していた。石川さんは彼は孤独を愛する人徳者
だ。当時、小森さんは家族に聞きガタリをしていたという。
お相手は小森泰三さん。国会図書館に勤めていた。
●ボクと同じ学年だ
アラスカスキーを楽しむなど、オオラカな性格の人であったが
彼が、タバコも吸わないのに、肺がんで亡くなったという。
彼の一生もあるだろうが、小森武さんの情報も持っていって
しまった。
あとは、一人娘さんがいいるが、彼女は出来た人
●歴史の真実は鉱脈に消えるかもしれない。