4月5日(月)
ほぼ、在宅半年である
東京医療センターに入院し、精神科の薬で
呼吸器を直撃され、呼吸困難になったとき
そこはまだ、精神科の病棟であった。
看護師さんたちは、酸素吸引器の扱いに慣れておらず
印象では、寒いなかで口の中に酸素が強引に入れられた
苦しかった印象でしかない
耳元で
「呼吸器科の対応がおかしいのよ、科長がいま交渉している」
と言うつぶやきが聞こえた
あとは意識がない
呼吸器科に移ると、同時に、科長さんが来て、神経内科に入院
するように進められた。
ベットが空かないので、同じ階の呼吸器科に部屋を移る予定だったが
最も値段の高い空きベット室に最初ははいった
後で、看護師さんたちから「あの部屋の居心地はどうでしたか?」と
聞かれたが、記憶にあまりない
呼吸器科の若い先生が、気管切開の話をしていた。
手術をするのは、呼吸器外科の先生で、その先生の時間は
「いつ空いているから早いほうがいい」とつぶやき、
「須田さん、手術は簡単ですよ。終わった後、元に戻った人もいるぐらい
ですから」とわたしを説得したようだ。
家族は、この手術をしないと「植物人間になる可能性もある」と言われたようだ
呼吸器科の先生は、そのとき神経内科の症状をどれだけ理解していたか・・・
手術は、長時間にわたり、かなり困難であったようだ。一時期は、危ない、
ともいわれたようだが、
本人は
気がついてみるとベットに呼吸器をつけて寝ていた。
この呼吸器、大型で、まるで隣にイビキをかかない友達がねているようで、
安心できるようになっていた、騒音も小さく、ただ吸引機の回路がうっとうしい
だけであった。
そのあと、神経内科の先生の検査が行われ、ALSと診断された。
手術から2ヶ月弱、入院したさきは、神経内科だが、病室は呼吸器科であった。
先生は、神経内科の方が、朝晩訪れるだけで、呼吸器科の先生はほとんど
現れない。看護師さんは差別なく丁寧に扱ってくれた。
「大型の呼吸器は需要が多いので、小型に慣れてください」といわれ
突然事業者が科が器を持ち込んだのはいつであったか?
八月下旬、突然2階の神経内科に移るように言われた。
そこから、カニューレーをスピーチカニュウレーの変える事や、
呼吸器を大型から小型に変えたのはいつであったか?
小型機は、騒音が凄い。それに自発呼吸に対応せず、
一気に酸素を押し込むので苦しい。
それを解決したのは、
従量式を従圧式に変えてからだ。
従圧式でも、自発呼吸を優先するCPAP方式だと
さらに無理がない。しかし、この方式、自発量が減ると
アラームがなる。夜寝ると鳴り続ける。眠れない。
そこで寝るときだけ、SIMV方式にして、寝ることになったが
先生の勤務時間、5時からが夜であり、この方式の切り替えは
毎日大変であった。
そのまま退院し、在宅ではSIMV方式になれてしまった。
病院では「呼吸器を外していい時間はどれぐらいでしょうか」
ときいても、誰からも返事はない。
あるとき様々な理由から3時間外していても変わりはなかった。
スピーチカニューレーに変えたの9月連休前20日過ぎか
それから、発声の練習が始まった。理学療法士の方は
皆親切だ。
リハビリの先生にあわなかったら、寝たきりのままであったカも知れないが
毎朝、10時には、ベットで身体を動かし、歩行器で歩き、あるいは機械をつけて
病院内を散歩した。
トイレも病室のトイレで出来るようになった。
発声の練習をしていただいた先生の言葉がいまでも
耳元に残る
「やがて苦しくなる前に鍛えておきましょう。口の体操や発声訓練はず~と必要です」
●ところでこの小型の呼吸器、また新しいタイプが開発されているようで、大型機
に近い昨日を持ち始めているとか・・・
呼吸器の種類は、会社ごとに様々のようだが、すべてをつけて「これがよい」と患者
が選ぶことはないようだ。
●無論、気管切開を拒否することも、呼吸器をつけるのも拒否することもできよう。
しかし、病院は「医師主権」だから、患者の気持ちは次の次である
●呼吸器をつけた人のムラを作りたい、と思ったが、いまではその気力が足らない