4月28日(水)
このブログでも触れたと思うが、
1997年のエコリレーを担った、信頼するNさんが
アースデイを検索していて、僕のブログを発見して
手紙をくれた。
今度は同じくブログで発見し、K嬢(佐紀子)さんが手紙をくれた
いまは市民政調にいる、Kさんをみんなは
「兄い」と呼ぶが、K嬢が妹役であった。
いまK嬢は結婚して、4児の母だそうです。
●アースデイはいいことばかり書きすぎていますが、
最初の1990年は、フリー音楽祭・入場料空き缶、が雨も
降って大赤字。企画したガイアのH青年は苦労した。
その赤字を言い出した3人で補うことになり、H青年とわたし
もう一人は山本コータローさんだった。山本さんも赤字を負担して
くれた。彼は人間としてホンモノだと思った。
コンサートは雨の中でも、かまやつひろしさんが、ギター1っポンで
歌って、少ないけど熱心な人々を満足させた。
●いつもアースデイ連絡所はボランテイアがいたが、1990年初頭は
日本人のボランテイアが少なく苦労した。1990年4月22日以降は
ボランテイアも増え続けた。
1991年は、NECアベニューの牛島さんの働きもあり、企業と連携した
1992年は、リオ会議もあり、日本でもブラジル連絡会も生まれNGOの
活動が活発になった。
●アースデイは、
①代々木公園で2日間,アジアルランドと名づけたアジアアースデイに
取り組み
②子どもの国で、地球環境教育のイベントをし
③池田町で環境自治体会議を発足させた。
●その頃から、月1度のニュースの発行をはじめ、斉藤容子が大活躍
をする。
●心配な「斉藤容子」
彼女は気が優しく、いつもニコニコしている性格であったが、最近は10年ほど
病に冒されている。
化学物質化敏症もそのひとつ。僕のように、難病ではないので、社会のホロー
がよりかける。
アースデイで彼女と付き合った方、ぜひよろしく心配してください。