5月24日(月)
事務所の方の話によると
お見舞いに事務所に来てくれたとか・・・
先だって、年賀状の御礼にはがきを書いたら
ご返事をいただいた
まる90歳を越えている。
先生の協力なしに、環境自治体は生まれなかった。
かれは昭和初期の農村改革派だ。昭和維新派といってもいい。
指導者は戦後アジア学院を作った穂積伍一先生。かつての言葉を
使えば右翼だ。
明治大学の哲学科で後輩に、村山富市さんがいる。
農村作りは、北海道の士幌から始まり,隣の池田町に移り、そこの
野葡萄に注目し、池田の十勝ワインで町おこしに成功した。
最近は
「赤字でまちは滅びない」という著作を出している。
朝日の人脈記によると、穂積伍一さんは大人物らしい
友人の根本悦子さんのパートナーの新石さん,東大
柔道部だが、穂積門下だそうだ。それを知ったのは
なんと新石さの葬儀のときだった。
生前に、丸谷さんとお会いしていたらいい出会いになった
だろうに、残念でならない。
いま根本さんは、ブリッジ・アーシアン・ジャパン(BAJ)を支え
てがんばっている。
●ぼくはいろいろの方に世話になって生きてきたが、いやみのない
恩だけ受けてきたかたは、丸谷先生が筆頭だ。
ぜひ100歳まで頑張って欲しい