5月15日(土)
今日の記事に鈴木俊一さんが99歳で亡くなられた、報じています。
・彼は内務官僚の若手で、戦後の内政改革のプロであり、自治庁の事務次官
を最後に、オリンピックのため東知事を支える役として副知事になった。
・1967年の選挙で東知事をついで知事選に出るつもりが、当時の
佐藤栄作総裁の判断で、美濃部さんが候補になると差し替えられ、
自民党は、民社の押す松下正寿さんにのった。
・美濃部時代は、回顧録なども始まりもう引退かと思っていたら、1979年
美濃部後継で、公明党などの働きかけもあり、復活した。
・僕は、鈴木さんは財政はプロではなかったと思います。
彼の財政再建策批判をエコノミストに発表しました。
・彼の美濃部アセス条例の議会から撤回が、アセス直接請求運動
を起こさせました。
・都市計画は、山田正男さんの亜流です。臨海がその象徴です。
・むろんしっかりした面もありますが、行政のプロというと、みな批判
を控えますが、若い僕は遠慮会釈なく批判していました
・4選目は、当時の自民党幹事長小沢一郎さんと正面衝突して、
東京だけのローカルな政党を集め、自公民の磯村さんを破っています
見事でした
・後継者に同じ自治省で内閣副官房長官の経験が長い、石原信雄さん
を超党派で決めましたが、例の青島さんに敗れています。
●いい意味でも悪い意味でも、鈴木さんは僕にとって
鏡のような存在でした。ご冥福を祈ります